井深大 私の履歴書 復刻版

2012.05.24

井深大(12)テープレコーダー 日夜苦心、やっと成功 手をとり合ってうれし泣き

私はこれまでいろいろな物をこしらえて商売にしてきたが、たいてい軍とか役所とか放送局のもので与えられた仕様書によって作ったものばかりだった。それで何…

2012.05.21

井深大(11)新工場完成 飲み食い放題の祝宴 おかげでその月は給料遅配

工場の移転だの仕事の増大だので会計の方は苦しい連続だった。どうにもせっぱつまったのでこれは銭形の親分に頼むよりほかないということになり、盛田君と2…

2012.05.17

井深大(10)新円かせぎ 当たった電熱マット 法隆寺出火でびっくり

東通工が発足して1ヵ月とたたないうちに白木屋の工場では手狭になった。そこで21年6月に長野県上高井郡小布施村に200平方メートル(60坪)ばかりの…

2012.05.11

井深大(8)終戦 仲間とともに東京へ 「東通研」で再スタート

サイパン、テニアンも占領され、不沈空母による本土空襲は定期便化していた。トラックが毎日のように京浜地帯から列をつくって山梨や長野に工場疎開の荷を積…

2012.05.07

井深大(7)戦時中 盛田君との出会い 新兵器の研究会が縁で

日本光音でいろいろなことをやったが、だんだん軍関係の仕事が多くなってきた。日本光音は元来16ミリのトーキーをつくるのが目的の会社だったので、いろい…

2012.04.26

井深大(6)新しい仕事と人生の出発となった昭和11年

昭和8、9年といえば日本でもオーナー・ドライバーがぼつぼつ出現したころである。所長の植村泰二氏、PCL交響楽団の紙恭輔、藤山一郎の両氏らもオーナー…

2012.04.23

井深大(5)社会人第一歩 請われてPCL入社 約束と違う初月給に文句

私の社会人としての出発はPCL(フォト・ケミカル・ラボラトリー=写真化学研究所)に入社したときから始まる。

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