催眠療法の感想3

催眠療法を受けて頂いた方からの感想です。 ありがとうございます。 ******************************** ラディアンスでの年齢退行催眠を受けさせていただいて、2つの大きな収穫がありました。 母について、 母についての退行催眠の中で、若い頃の母の気持ちを想像してみたとき、それがありありと手に取るように、まるで自分のことのように想像することができて驚きました。自分のこと以上に、といってもよいかも知れません。 若くて世間知らずなまま結婚して現実に絶望している女性、自分の分身である娘に八つ当たりすることしかできなかった無力な女性。その気持ちを想像するのは本当に簡単でした。でも今まで、母の気持ちを想像しようなんて思いつきもしませんでした。 でも本当はきっと分かっていたのだろうと思います。わかっていたけど、理解してあげることを拒否していたのだと思います。理解してあげることは、苦しんできた自分に対する裏切りのように感じていました。 ところが、母の気持ちを想像して涙を流していると、体がほぐれていくのがわかりました。不思議でした。なぜ、人の気持ちを理解することで自分が癒されていくのか。もしかすると、気持ちを理解することが許しにつながるからではない、と思います。 これまで、許すという言葉の意味がわかりませんでした。どうしたら許したことになるのか。口で「許す」といっても、本当に許したことにはなりません。でも、母の気持ちを理解して涙を流すことで、わたしの中に自然に許しが起こっいたのだろうと思います。許すことが自分の解放になるのだと、頭ではわかっていたことですが、初めて身を持って知りました。 父について、 もう1つは、子どものころのわたしは、父と一緒にいるのが心から楽しくて、安心していて、父を頼りにしていたことがわかったことです。 意識の上ではこれまで、父はうとましくて、頼りにならない、いなくていい存在でした。でもそれは意識が作り上げたフィクションだったのかもしれないと思うようになりました。 母の顔色をうかがうあまりに、都合のよいように作り上げたお話だったのかもしれないと。 これからもう少し、子どものころの父に対する気持ちを思い出してみようと思います。それにしても、父と一緒にいて楽しかった気持ちを思い出すことが、とっても悪いことのように思えて、思い出すのがつらかったです。わたしにとっての禁忌事項になっていたようです。 人間は楽しいことを先に思い出す、と説明を受けましたが、私の場合楽しいことが全然思い浮かばなくて困りました。エピソードは浮かんでも、楽しい気持ちなどまったく見当たりませんでした。でも、きっと楽しい時間はいっぱいあったのだろうと思います。それを、楽しんではいけないように感じて抑圧してしまっているのだろうと思います。これから楽しかったことも徐々に思い出していきたいと思います。 最後に、自分が生きたかった理想の人生を思い描いたとき、実際にわたしが歩んでいる人生は、理想の人生よりずっと遅れているけれど、おおまかには同じ道筋を通っていました。自分の直感にしたがって選択してきたことは間違っていなかったのだと、少し安心しました。 補足ですが、子どもの頃のわたしが欲しいと思った、リカちゃんハウスと子犬は、どちらも妹が買ってもらったものでした。妹ばかり高価な誕生日プレゼントを買ってもらって、うらやましいのに、「わたしも欲しい」とは決して言えなかった自分を思いました。わたしはよく人のものを妬ましく思って、そんな気持ちを抑えようとするのですが、その根っこが妹との関係にあったのかなと思います。 こう書いて見ると、多くのことに、しかも、他では絶対に気づかないようなことに気づかせていただくことができました。この気付きを種として、大切に育てて大きな花や実にしていこうと思います。

Page 1 of 2 | Next page

関連する投稿